㉕甲賀忍法帖 山田風太郎
▶あらすじ
400年来の宿敵として対立してきた甲賀・伊賀の忍法二族。彼らは服部半蔵の約定によって、きわどい均衡を保っていた。だが慶長19年、家康によってついにその手綱が解かれる。三代将軍の選定をめぐる徳川家の紛争を、両里から選ばれた精鋭各10名に代理させようというのだ。秘術の限りを尽くし、凄絶な血華を咲かせる忍者たち。だが、そこには流派を超え、恋し合う2人の名も含まれていた・・・。山風忍法帖の記念すべき第一作!
▶ネタバレ感想
エンターテイメント小説の金字塔!!
あらすじを読むと何だか古臭そう、と感じるかもしれない。しかし、本書の魅力は時代をも超える”新しさ”だ。アニメや、映画、漫画化もしている山田風太郎の代表作である。
家康の後継ぎを決めるために、甲賀族と伊賀族から精鋭10名を選び出し殺し合うことに。これって少年漫画でよくみる展開!しかも、ストーリーの中でも一番盛り上がるシーンじゃないですか!それを山田風太郎が描くのだからおもしろくないわけがない。
10対10の戦いなので、忍者だけでも20名出てくるが、みんなそれぞれ個性的な忍法を持っていてキャラがちゃんと立っている。忍法によって相性があるので、先の戦いで圧倒的に強かった者でも、次の戦いではあっけなく倒されてしまったりと、ギャンブル的なハラハラ感がある。戦う組み合わせや順番がうまく考えられていて、飽きさせない展開だ。
特に、物語の核となるのは、甲賀の弦之介、伊賀の朧と天膳だろう。弦之介と朧は恋人同士。まもなく結婚し、400年来憎み合う甲賀と伊賀の架け橋となるはずだった2人だが、幕府の勝手な都合により一転、敵同士になってしまう。術を跳ね返す眼を持つ弦之介と、術を無効化する眼を持つ朧。2人が迎える結末はあまりにも哀しい。
一方、物語をかき乱してくれるのは伊賀の天膳だ。殺されても何度でも蘇る能力―ほかの忍者と比べて、天膳だけ能力がチートすぎるんだよな(笑)
個人的に好きなのは、伊賀の小四郎かなあ。吸息で旋風を作り出し、相手の顔を爆ぜさせるというかなり狂暴な能力を持つ上、好戦的なので甲賀からしたら厄介な相手なのだが、伊賀からすれば朧に忠実に仕える有能な青年だ。甲賀の裏ボス的な豹馬との戦いはまさかの決着で一番印象的だったかもしれない。
女性キャラとしては蛍火も良かったが、彼女は不憫だった。恋人の夜叉丸を先に殺された上、復讐を遂げる機会を与えられることなくやられてしまう。一矢報わせてあげたかったな。
まあでも全体的に、天膳以外はみんな好きだった(笑)
手に汗握るバトルシーン、弦之介と朧の切ない恋模様、切ない幕閉じまで楽しめる一級作品です。
ほかにもたくさんシリーズがあるみたいなので、早く読んでみたい!
㉔ジヴェルニーの食卓 原田マハ
▶あらすじ
ジヴェルニーに移り住み、青空の下で庭の風景を描き続けたクロード・モネ。その傍には義理の娘、ブランシェがいた。身を持ち崩したパトロン一家を引き取り、制作を続けた彼の目には何が移っていたのか。(「ジヴェルニーの食卓」)新しい美を求め、時代を切り拓いた芸術家の人生が色鮮やかに蘇る。マティス、ピカソ、ドガ、セザンヌら印象派たちの、葛藤と作品への真摯な姿を描いた四つの物語。
▶ネタバレ感想
芸術にわかは原田マハ作品を読むべし!
美術館に行くのが好き。作品を語れるほどの知識はないが、有名な画家や作品は分かる。全作品を網羅しているわけではないが、好きな画風の画家がいる・・・。
こういう方に原田さんの作品を勧めたい。
わたし自身も、絵の価値や歴史は分からないが、何となく絵を見るのが好きというタイプ。原田さんの作品を読めば、これまでぼんやり見てきた絵たちに秘められたドラマを知ることができるので、ますます絵に興味がわきますよ。スマホを傍において読むのを勧めます。作中にでてきた絵をすぐ検索できるように(笑)
物語の主人公は、日陰で誕生した印象派の絵たち
本作は、印象派の代表画家たち、マティス、ドガ、セザンヌ、モネらを取り上げた短編集。どの話も、彼らをそばで支えた人たちが語り手となっている。マティスの屋敷で使用人として奉公するマリア、友人のドガに対し憧れと恐れを抱くメアリー・カサット、セザンヌの可能性を誰よりも信じ支援したタンギー爺さん、義理父のモネのためにその食卓を母の遺したレシピで彩ったブランシェ。
画家を献身的に支える彼らだが、その眼は画家ではなく、作品に魅せられているように感じた。
その証拠に、物語の中で彼らが最初に出会うのは絵だ。ファーストコンタクトの状況はそれぞれだが、彼らの目を通して描かれる絵は、みんな光に満ちている。それは新しい光であり、経験したことのない光。
彼らは、その絵を生み出した画家本人と同じくらい、作品の可能性を信じ愛おしんだ人たちなのだ。
マリアは生涯をロザリオ礼拝堂に捧げたし、タンギー爺さんはセザンヌのりんごが世界を変えると最後まで疑わなかった。
画家たちからしてみれば、印象派に厳しい風が吹く時代の中で、自分をかばうのではなく、自分の描いた絵を一緒になって守ってくれる人がいて心強かっただろうな。
㉓だれもがポオを愛していた 平石貴樹
▶あらすじ
エドガー・アラン・ポオ終焉の地、米国ボルティモアの郊外で日系人兄妹が住む館が爆破され、泥沼に潰えた。テレビ局にかかった予告電話の通り「アッシャー家の崩壊」さながらに始まった事件は、ほどなく「べレニス」、「黒猫」の見立てに発展、捜査は混迷を呈していく・・・・。オーギュスト・デュパン直系の名探偵がクイーンばりの論理で謎を解く、オールタイムベスト級本格ミステリ。
▶ネタバレ感想
クイーンの血を引く隠れた傑作!
長年ミステリにアンテナを張っていたわたしですが、恥ずかしながらこのミステリの存在は最近知った。
ポオとクイーンを堪能できる一冊、つまり、ミステリ好きを語るには落としてはならない作品だった!!
本作で起こる殺人事件では、「アッシャー家の崩壊」や「黒猫」のあのおどろおどろしくそれでいて幻想的な、ポオの世界をもう一度のぞかせてくれる。
一方で、解決編では、クイーンの系譜をひいたロジカルな推理で驚かせてくれた。
ドアの錠が壊れた建物の窓が割れている―ただ、これだけで、ニッキはこの事件に別々の人物が関わっていることを導き出す。動機や人間関係に左右されない「即物的推理」はクイーンのエジプト十字架の秘密を彷彿とさせる。
ポオの雰囲気をまとった不可思議な事件が、たった5ページほどの推理(=論理)で解体される様は美しい。
エピローグでのもう一つの推理
この作品、本編だけでも十分楽しめるのだが、エピローグで書かれるアッシャー家の崩壊の考察が非常におもしろい。
呪われた館とされるアッシャー家。死んだはずの妹マドラインが嵐の夜に棺から抜け出て屋敷を徘徊し、兄の前に現れる。兄は恐怖で死んでしまい、アッシャー家は崩壊し沼に沈んでいく・・・という怪奇小説なのだが、実はあれは、語り手の「私」とマドラインの共謀犯罪だったのではないかというのだ。
考察で指摘されて初めて気づくのだが、確かに「アッシャー家の崩壊」には不自然な箇所がいくつかある。
まさか幻想怪奇小説の代名詞ともいえるアッシャー家が、実は人為的な犯罪であり、犯人による倒叙の物語だったとは。
例えポオが意図していなかったとしても、この考察は読者から彼への最高の贈り物のような気がするな。
㉒ラスプーチンが来た 山田風太郎
▶あらすじ
日露戦争中、ロシアの内乱を企て日本を勝利に導いた男、怪男児明石元二郎の若き日の物語。明治23年、ひそかに来日し暗躍していた怪僧ラスプーチン。彼はロシア皇太子襲撃を画策していた!?チェーホフ、二葉亭四迷、乃木希典、森鴎外までをも巻き込んで日本とロシアの大怪物の対決は続く。
▶ネタバレ感想
ラスプーチンって何者??
まずはじめに。
このネタバレを読んでいる方には不要だと思うのだが、ラスプーチンって誰?という方に、説明しよう。
のちにロシア革命で虐殺されるロシア皇帝のニコライ2世と皇后の間には、後継ぎとなる男の子がなかなか生まれなかった。(女の子は4人いて、そのうち末娘が世界のミステリーの一つとしても取り上げられるあのアナスタシアだ)姑からの圧力もあり苦しんでいた皇后は、やっとアレクセイという男の子を授かる。しかし、アレクセイは血友病だった。血友病は、些細な傷で出血がとまらなくなる病気で、当時は治療法がなく、血友病の子どもは思春期まで生きられない短命の運命だった。ある日アレクセイの出血がとまらくなり焦った皇帝夫妻は、当時巷で有名だった不思議な力を持つという僧、ラスプーチンを呼び寄せる。
半信半疑な夫妻だったが、ラスプーチンはいとも簡単にアレクセイの出血をとめてしまった。
それ以来、皇后はラスプーチンをそばにおき、彼は皇室と強いパイプを得る。だんだんと、政治にも口を出すようになり、当然の成り行きとして反対派に暗殺を企てられる。
反対派はあるパーティでラスプーチンの飲み物に毒をいれる。しかし、ラスプーチンは致死量の2倍の毒入り飲み物を飲んだにもかかわらず、なぜか死ななかった。恐れおののいた暗殺者は、ラスプーチンに銃を発砲。心臓に命中したはずが、それでもラスプーチンはふらふらと立ち上がる。恐慌をきたした暗殺者は、再度発砲し、殴る蹴るの暴行を加え、動かなくなった体をそのまま湖に沈めてしまった。これでラスプーチンは完全に死んだのだが、後から遺体を調べたところなんと死因は溺死だったとか。これが不死身と謳われた男の最期である。(諸説あります)
私はこのあたりの歴史を、島田荘司の「ロシア幽霊軍艦事件」で知った。様々な伝説を持つロシアの怪物に非常に興味をひかれたので、タイトルに彼の名のある本作を読んでみた。
明治の怪物大集合!
本作では、歴史上の人物がじゃんじゃん出てくる。
主人公の明石元二郎は、名前も聞いたことがなかったが、日露戦争の立役者なんだとか。下品でルーズだけれど、豪快で頭の回転が速く大胆不敵。雪香を助けにくるシーンはかっこよかった。
一方、下衆野郎として描かれる稲城黄天も飯野吉三郎という実在した人物で、日本のラスプーチンと呼ばれていたのだとか。
そのほかにも、二葉亭四迷や、内村鑑三、乃木希典、大津事件の津田三蔵なんかもでてきて、この時代が好きな人にはたまらないのではなかろうか。
そして異彩を放つのが本家ラスプーチンだ。もじゃもじゃした長い毛を蓄え、年齢不詳な怪しい風貌、治らない病でも簡単に治してしまう不思議な力を持ち、何を考えているのか分からないその目は虎視眈々とロシア皇室を狙っている。稲城黄天とは比べ物にならないほど脅威である。あの完全無敵だった明石中尉ですら、最後敗れてしまうほど。そんな得体のしれない人物が皇室に寵愛されていたのだから、当時ロシアで暗殺計画が起こるのも避けられなかったのだろうなあ。
登場人物の魅力もさることながら、歴史フィクションとしてよく出来ているなあと思った。
ニコライ2世が日本を訪問し、大津事件で襲撃され、日本が大パニックに陥るという教科書でも印象深い歴史が舞台なのだが、実は時を同じくして、ロシアの怪物ラスプーチンが、人知れず日本に降り立っていたという物語だ。
中盤あたりまで、ラスプーチンが何を目的に来日したのか、彼が何を企んでいるのか、なぜ雪香をさらったのか全く分からずもやもやするのだが、終盤に近付くにつれ、歴史を知っている読者なら、ああ、まさか・・・とすべてを察するだろう。ここが歴史フィクションの美味しいところではなかろうか。
なぜ雪香をロシアへ連れていつたのか?
どういうわけか、最後ラスプーチンは雪香をロシアへ連れて帰ってしまう。
大津事件を起こすために雪香をさらう必要があったのは分かるのだが、なぜその後も開放せずにロシアへ連れて行ってしまったのか。
わたしが思うに、雪香の血を利用しようとしているのではないだろうか・・・。雪香が男の子を生んだ場合、不幸にも遺伝的にその子は血友病である。
ラスプーチンには人の傷を癒す不思議な力がある。当時、治療法のなかった血友病を治すということは、彼の大きなセールスポイントになる。しかし、血友病は珍しい病気だから、そこらへんに患者がいるわけではない。そこで雪香だ。血友病の保因者である雪香は血友病患者を生む確率が高い。胸糞悪い話だが、そこを利用したのではないだろうか・・・。
しかし、皇太子の子アレクセイが血友病だったというのは果たして偶然なのだろうか・・・。
㉑たゆたえども沈まず 原田マハ
▶あらすじ
19世紀後半、栄華を極めるパリの美術界。画商・林忠正は助手の重吉と共に流暢な仏語で浮世絵を売り込んでいった。野心溢れる彼らの前に現れたのは日本に憧れる無名画家のゴッホと、兄を献身的に支える画商のテオ。その奇跡の出会いが"世界を変える一枚”を生んだ。読み始めたら止まらない、孤高の男たちの矜持と愛が深く胸を打つアート・フィクション。
▶ネタバレ感想
アンリ・ルソーにスポットをあてた「楽園のカンヴァス」が良かったので、今回はこちらの作品を読んでみた。
正直、ゴッホは特別好きな画家でもないし、耳を切り落としたことや自殺したという有名なエピソード以外はほとんど知らない。彼の絵も、ひまわり、種を撒く人(ミレーの落穂拾いが好きなので)、タンギーじいさんくらいしかぱっと思いつかなかった。
しかし、この本を読んでから改めて彼の絵を見てみると、いろんなことを感じ取ることができた。
ひまわりは、黄色の洪水のカンバスの中で、なぜこんなにも生き生きとしているのだろう。
タンギーじいさんの、人柄さえも感じられる温かい絵。そしてその背景に、大好きな浮世絵を描いたゴッホの気持ち。
「楽園のカンヴァス」を読んだときにも思ったけれど、絵というのは画家やその絵が描かれた時代のことを知ってからみると、感じ方が変わるんだな。
これまで美術館なんかに行ったとき、画家の年表とか時代の説明は読み飛ばしていたけれど、すごくもったいないことをしていたなあと思った。
ゴッホが浮世絵に強く影響を受けていたなんて知らなかった。
パリで起こったジャポニズムブーム。ただ物珍しさに浮世絵を漁る人々の中で、自分の作風に影響を与えるほど浮世絵に魅了されていたゴッホ。
ゴッホが模写した歌川広重の「大はし あたけの夕立」をネットで調べてみてみた。線が画面を横切る雨の描写、夕立の一瞬をとらえた臨場感のある絵。日本画の知識なんて全くないけれど、確かにすごい絵だなあと思った。
印象派の歴史も少し学べた。"きちんと描くこと"が当たり前だった中で、ぼんやりと、にじむようなタッチの印象派の絵が、世間から馬鹿にされていたいうのは確かに納得がいく。写実性が求められる中で、ぼんやりとした絵を描くのは技術がないからだと批判されていたけれど、それこそが”新しい手法”の誕生だったんだな。
兄の絵を誰よりも愛し、憎んだテオ
ゴッホを文字通り一生をかけて支え続けた弟のテオ。
精神が不安定で飲んだくれだったゴッホを、内面的な面でも経済的な面で支え続けた。自分自身も多くの犠牲を払い、絶えない苦労の中で、兄の前で死んでやると思い詰めることもあった。
本の中では、テオがゴッホを憎んでいる描写があったけれど、本当はゴッホの描く絵を憎んでいたんじゃないかなと思った。
兄の絵がほんとうにへなちょこだったら、彼もここまで苦しまずに済んだのだ。兄の絵を愛してしまったからこそ、ぼろぼろになりながらも支え続けたんだなあ。
⑳依頼人は死んだ 若竹七海
▶あらすじ
念願の詩集を出版し順風満帆だった婚約者の突然の自殺に苦しむ相場みのり。検診を受けていないのに送られてきたガンの通知に当惑する佐藤まどか。決して手加減をしない女探偵・葉村晶に持ち込まれる様々な事件の真相は、少し切なく、少しこわい。構成の妙、トリッキーなエンディングが鮮やかな連作短編集。
▶ネタバレ感想
葉村シリーズっていやあな気持ちになるんです。
もう読みたくないって思う。
それなのに、しばらく経つと手をのばしちゃう中毒性がある。
ショッキングな描写とか、ごみくずみたいな最低人間が出てくるわけじゃない。
ありふれた小さな悪意のお話。読み進めていくごとに、毒素がじわじわ沁みてくる感じです。物語の中に良心ってものが皆無なので容赦がない。最初のお話からいきなり葉村さんの友人が殺害されてます。
今回の作品で一番いやあな気分になったのは、「詩人の死」かなあ。
詩集が5千部売り上げ大ヒットして、詩人としてみとめられ幸せ絶頂だったはずの男が、突然自殺してしまう。彼が死の間際に訪れていた実家で葉村が見たのは、大量にまとめ買いされた詩集の山だった・・・。
これはめちゃくちゃこわかった。読まれることもなくただ売り上げのためにまとめ買いされた詩集の山をみて彼が自殺した気持ちがすごく分かったというか、自分が同じ目にあったら自殺しちゃうなと思わせるほどの仕打ちだなあ。
「わたしの調査に手加減はない」もいやな話だったな。
子どもが産めない体で、夫に離婚され精神を病んでいた友人に、赤ちゃんの写真入りの年賀状を送りつける悪意ったら。
「詩人の死」でも言えることだが、それで彼女が自殺をしても、年賀状を送った女は罪にはならないんだよな。
この世界には自殺の数だけその要因をつくった人間がいるんだな。
彼らは裁かれない。中には罪悪感で苦しんでいる人もいるだろうけど、その一方で、自分が原因をつくったとはつゆほどにも気づいていない無神経な人間もいるんだろう。
普通に暮らしている人たちの中に、どれくらい裁かれない殺人者がいるんだろうか。
・・・ああだめだ人間不信になりそう。こういう副作用が起こるから葉村シリーズは苦手だ。(といってまた凝りもせず手をだしちゃうんだろうなあ)
⑲荊の城 サラ・ウォーターズ
▶あらすじ
スウが侍女として入ったのは、俗世間とは隔絶した辺鄙な地に立つ城館。そこに住むのは、スウが世話をする令嬢、モード。それに、彼女の伯父と使用人たち。訪ねてくる者と言えば、伯父の年老いた友人たちだけという屋敷で、同い年のスウとモードが親しくなっていくのは当然だった。たとえその背後で、冷酷な計画を進めていようとも。計画の行方は?二人を待ち受ける運命とは?
▶ネタバレ感想
少女たちの愛憎劇
初のサラ・ウォーターズ。
あらすじからは予想もしない展開が続き、ページをめくる手が止まらず。
さながら、両手をとってワルツを教えてあげていたらいつの間にかこちらが導かれ振り回されていたというような・・・。
気狂い病院へモードではなくスウが入れられたときは驚いて声が出た(笑)
何かの間違いだと暴れ続けるスウに放ったモードの冷酷な一言。
モードの無垢な仮面の下に隠されたしたたかさを知った。そして、なぜ彼女がそこまで冷酷にならざるを得なかったのかも。
二人の行く末は悲惨だが、同情はできない。
スウは気狂い病院という地獄の中でモードを血が出るほど憎んだけれど、自分こそモードをそこに入れようとしていたのではなかったか。
モードは、あの城から逃げ出したかった。そのためにスウを身代わりに病院へぶちこむ計画に乗った。冷酷に感じるが、そこまでは分かる。スウは罪のない侍女ではなく、自分を利用し騙すためにやってきた少女なのだから。
しかし、荊の城から逃げ出した先に待っていたのは、想像とは違う、未来も希望もないロンドン。スウの家に閉じ込められ、そこで自分たちが騙されたと知る。なんてひどい人たちなの、スウを助けなきゃと彼女はスウを思い憤るが、もしロンドンが理想通りの場所だったら、望んだ通りの新しい生活が手に入っていたら、罪悪感に苛まれはするものの、彼女はスウを記憶から抑圧したのではないかと思ってしまうのだ。
自分の望むものと、愛する者。片方を犠牲にしなければ手に入れられないという状況の中で、彼女たちが苦しんで間違えて傷ついて葛藤する姿が濃筆に描かれている。
3人の女性たち
このストーリーの車輪は、スウ、モード、そして母ちゃんだろう。
彼女たちは(特にモードと母ちゃん)、読み進めていくほどに印象が変わる。
スウは口が悪く、荒っぽく、激情型。
しかし哀れなほどに母ちゃん思いで、彼女自身の言葉を借りるのなら、思ったよりも良心がある。
モードは世間知らずの純粋無垢なお嬢様を上手く演じた。しかし、本当の姿は身に絡みついてくる荊を必死に振りほどこうとしている手負いの獣だ。目の前にいるのが何も知らない侍女ならば腕をつねって虐めて、利用価値のある娘ならば自由のために踏み台にする。
母ちゃんは、スウを溺愛しているのかと思えば、すべては計画のためだったと判明する。自分を慕うスウを気狂い病院へ捨てて、モードを迎え入れるシーンはショッキングだったし、だれよりも悪魔に見えた。
しかし、モードが彼女の娘だと分かってから読むと、モードを前にして彼女がどんな気持ちだったか少し分かる。そして、刑務所へ会いに来るスウの後ろに、実の娘の姿を探す彼女の気持ちも。
自己中心的で保身的。汚い部分も醜い部分もすべてをさらけ出して傷つけあった先で、スウとモードが一緒になれて良かった。
嫌う理由は50もあるけど、それでも愛しているというスウの言葉がとても印象的でした。