㊵沈黙 遠藤周作
▶あらすじ
島原の乱が鎮圧されて間もないころ、キリシタン禁制のあくまで厳しい日本に潜入したポルトガル司祭ロドリゴは、日本人信徒たちに加えられる残忍な拷問と悲惨な殉教のうめき声に接して苦悩し、ついに背教の淵に立たされる・・・。神の存在、背教の心理、西洋と日本の思想的断絶など、キリスト信仰の根源的な問題を衝き、<神の沈黙>という永遠の主題に切実な問いを投げかける書下ろし長編。
(個人的な)点数 6/10
あなたのために、多くの信徒たちが虐殺された。それなのに、なぜあなたは黙っているのか―。
キリシタン狩りが行われている日本で、司祭のロドリゴは何度も神に問いかけます。
本作は、カトリック教徒である作者によって書かれた、「神の沈黙」という禁忌的な主題を取り上げた作品です。
私はキリスト教徒ではないし、世界で最も信徒の多いこの宗教について、浅はかな知識しかありません。なので、信仰とは何なのか、最後まで真に理解することはできませんでした。ただ、背教について考えるところがあったので書いてみます。
当時、踏み絵や拷問で、多くの日本人キリシタンが背教させられました。
授業で踏み絵という方法を学んだ時、「こんなぬるいやり方で信徒を発見できるの?」と私は拍子抜けしました。イエスの顔を踏むのは辛いかもしれませんが、自分や家族の命がかかっているのです。信仰は捨てず、形だけ踏めばいい。簡単なことです。しかし、その簡単なことができずに殺された信徒たちが数多くいたことに衝撃を受けました。
本作でも、踏み絵を拒んだ信徒たちが拷問にかけられ、殺されていきます。彼らやロドリゴの対照的な存在として、キチジローという男が登場します。彼は、信徒でありながら、拷問にかけられそうになるたびに、転びを繰り返してきました。そしてついには、自分の命を守るために、ロドリゴを役人へと引き渡し、本作におけるユダとなるのです。
彼は、自分が裏切ったロドリゴに対し、許しを乞います。自分は生まれつき心が弱い。弱い者は殉教さえできない。どうして自分はこんな世の中に生まれてしまったのだろうかと。
殉教者たちが英雄視されるのに対し、キチジローのような者は「転びキリシタン」と呼ばれ、神を裏切った背教者として信徒たちから蔑まれてきました。
果たして、信仰とは、自分の命にかえても、守らねばならぬものなのでしょうか。そして、守り切れなかった者は、パライソ(天国)へいく権利がないのでしょうか。もしそうなのだとしたら、信仰とは何と排他的なものなのでしょうか。
しかし、最後にロドリゴがたどり着いた答えに、私は救いを感じることができました。
「強い者も弱い者もいないのだ。強い者より弱い者が苦しまなかったと誰が断言できよう」
殉教者たちが苦しんだように、転んだ信徒たちも、自分の行為に苦しんだはずです。キチジローは、自分の弱さと、信仰に求められる強さとの間で苦しみ続けていました。
背教というのは、決して周りが決めるものではない。例えイエスの顔を踏もうとも、その足が痛むのであれば、その者から信仰が失われることはないのです。