ミステリとは
わたしはミステリが好きである。
ミステリと一口に言っても、日常の謎から、血みどろな惨劇まであらゆる種類があるけれども、やはり人が人を殺すミステリが好きである。
「tamaの読む本は殺人ばっかりで怖い」と両親や友人によく言われる。
殺人事件を扱う本がめちゃくちゃに好きというのは、確かに一見気味が悪いものかもしれない。
自分でも長年不思議であった。特にサイコパス味があるわけでも、とりわけ好奇心旺盛でもない自分がなぜこれだけ殺人を扱うミステリに惹かれるのか。自分には隠れた残虐性があるのかと悩んだこともあった。
わたしを長年悩ませてきた謎の答えもまた、ミステリの中にあったのだ。
わたしの大好きなミステリ作家、有栖川有栖さんの【江神二郎の洞察】の中に収録されている【除夜を歩く】でのある会話をまとめたものである。
"ミステリはアンチファンタジーでありながらその本質は幻想小説である"
これを読んだ時、ついに答えを知ることが出来た。
以下は、わたしなりの理解である。
ここでいうミステリは、殺人を扱うミステリのことだ。
まず、ミステリがアンチファンタジーだというのは当然である。
ミステリというのは、幽霊とか怪現象とかを認めない。死者が現れて犯人を教えてくれるなんてミステリでは許されない。
ミステリの定義は、論理的解決だ。故にファンタジーとミステリは常に対岸に位置する。
到底説明のつかないような事件を、論理を武器に解体し真実を取り出すのが推理であり、その推理はミステリの核である。
しかし、その一方で、ミステリとは幻想小説だと言う。
矛盾に矛盾に矛盾である。矛盾of矛盾。しかし、少なくともわたしにはその通りだった。
ミステリのストーリー的最終目的は何か。それは当然犯人を見つけることだろう。しかしそれがすべてではない。犯人を知るということは、なぜ被害者は殺されたのか、なぜ殺されなければならなかったのかを明らかすることでもあるのだ。
現実世界では、死者の声を聞くことはできない。大事な人が殺された時、人は考えるだろう。
どうしてあの人は殺されてしまったのか。あの人は最期に何を思いながら死んでいったのだろうか。
それを知りたいという願い。
有栖川さんの言葉で言うと、ミステリの中の探偵たちは、"その人間の最も切ない想いを慰めてくれる"。犯人を指摘するだけでなく、被害者の届かなかった声を拾い、"真実"を見せてくれるのだ。
だからこそ、ミステリとは、死者の声などを認めないアンチファンタジーでありながら、死者の声を聞こうとする幻想小説なのだ。
つまり、わたしが殺人を扱うミステリを好きなのは、決して冷酷でも残酷でもなく、叶わないものに想いを馳せることが元来好きだからだ。
これは上記故の持論だが、ミステリ好きにはロマンチストが多いと思っている。