⑧ベーシックインカム 井上真偽
*ネタバレです。
作者の井上真偽と言えば、「その可能性はすでに考えた」で新たな世界を見せてくれた次世代ミステリの作家さん。
ベーシックインカムは、経済本のようなタイトルだが、テクノロジーの発達した未来を舞台にしたSFミステリ短編集。そのせいか購入した本はちょっと近未来ぽい?珍しい装丁だった(笑)
どの短編もテクノロジーが発展した世界での問題や希望が謎を通して描かれていて良粒◎
特に「もう一度、君と」と「目に見えない愛情」が良かった。
「もう一度、君と」はVRにハマっていた妻が突然失踪し、残された夫は妻を探すため、妻が失踪直前にみていた怪談系VRの世界へ飛び込み手がかりを探していくというストーリー。なるほど、VRを媒体としたミステリね、と思いながら読んでいたらまさかの切ない真相が待っている。
VRを手掛かりに、妻が妊娠していたこと、VRの世界であまりにも愛らしい赤ちゃんを見てしまい、自分の子を本当に愛せるか不安になり追い詰められていたことを主人公は知る。
一人ぼっちで不安に耐えていた妻に、夫は言う。
「VRの世界はたしかに美しいが、それは意図的に作られた美しさだ。―君は前に言ったね。VRを一人で観るのは怖いって。今ならその理由がわかる気がする。確かにあんな理想郷にいたら、誰だって現実が嫌になってしまうだろう。けれど、それは逆に言えば、二人なら戻ってこられるということだ。私は作られた理想より、君がいるこの不自由な現実のほうが好きだ」(引用)
いやはやいやはやである。素敵な旦那さんすぎる。
しかし・・・・VRを通して描かれる夫婦の愛は美しいが、ほかの短編がテクノロジーがかなり発展した新世界が舞台なのに対して、VRは今も流通しており目新しさはないな?と思いきや・・・・
なんとこれ、おじいちゃんになった夫が死に際に見ている世界なのだ。
VRの改良によって、記憶をフィードバックし、過去の思い出を再現できるようになったBMIという最新技術。そのBMIが終末ケアに使われている未来が舞台だった。
妻の失踪事件から何十年。愛する妻を先に失い、自分ももうすぐ死ぬことになった主人公。病室に集まった子供や孫に囲まれた彼にはBMIの機械がとりつけられている。最愛の妻がいたころ、人生の中で最もかけがえのない世界の中で彼は思う。
「そしてまた、君に出会えた。―いつまでもこの夢の世界を繰り返す私に、君は笑って言うかもしれない。「だから言ったじゃないの。一人で観るのは怖いって」―ああ、まさにその通り。けれど許してほしい。君のいない現実を一人で観ることこそ、私には本当の悪夢だった」(引用)
いや泣く。泣いた。
彼は別に一人ぼっちで死ぬわけではない。BMIをしなくても、駆け付けてくれる子や孫がたくさんいたし、それは彼も分かっていたはずだ。
しかし、彼は最期は仮想の世界にはいることに決めていた。
失踪した妻を見つけ出したとき、たとえ不自由でも君といられる現実のほうが好きだと言った彼は、その言葉通り、亡き妻のいるバーチャルの世界で永遠の眠りにつく。
大切な人がいる世界こそが美しいのだとしたら、それが作り物であろうともそこで死にたいと思う。
そして、それが可能になる未来を、私も夢見る。